日々。

先月末から今月頭にかけて、
福岡の親のところへ行って来た。


福岡から父親、母親と船で壱岐へ二泊三日。
私は中日に一本だけダイビング。それ以外は親と一緒に島の中をぐるり観光した。来年完成するらしい一支国博物館が面白そうだった。また行きたいなあ。


さて。ここ3日間くらいの話。


金曜夜は仕事でお世話になっているカメラマンさん&スタイリストさんに飲みに誘われ、近所の串揚げ屋たなかへ行った。食べ過ぎたのでさすがに胸焼け。きっと少量さくっと食べるくらいが適量なんだろう。誘ってもらったことが嬉しい。


翌土曜日は、sayoと荻窪にて初ボルダリング。若者が多くとても苦手な空間だったがボルダリング自体は面白かった。ただ、ある程度出来る人と一緒に行った方が良さそうだな、と感じた。


そして日曜日。海友コイちゃんと葉山の友人(?)宅へ遊びに行く。強風で一色海岸の砂は巻き上がりまくりだったけど、波が高かったこともありサーファーが多かった。夕暮れの海はやっぱりキレイ。だれがなんと言おうと美しいと胸をはっていえる景色だと思う。


その後魚屋へ飲みに行き(といってもここではラムネを飲んだだけだが)16時半に店に入り、2時間制だったらしく7時くらいには出ることになったので、逗子の居酒屋で飲み直す。


ここで飲み過ぎ、テンション上がり過ぎ...余計なことをしゃべりすぎてしまった。さらには終電まで逃し(普段全く終電というものを気にしていないので)逗子から葉山まで戻って泊めてもらう始末。


普段、趣味の話や仕事の話はできるけれども、自分が考えてることを人に話したり意見を聞くことが苦手で、長く付き合いのある友人とでもあまりそういう話はしない。口だけになってしまうのが嫌で保険をかけている部分だったり、"あまりそういうことを多く語らない人間が格好良い"と思っている変な美意識もあるが、根っこの部分では、幼少時代長いこと虐められていた経験が原因のひとつでもある。(少し大人になってから思い返すと、ただ単に嫌われ者だっただけかもしれないのだが。)人に自分を計られることが怖い。
だからたまに酔っぱらってハイテンションでべらべらと話をしてしまった時は、とにかく落ち込む。
くだらない話なら問題ないが、ついつい自分が本質的に考えていることだったりを熱く語ってしまった日には、翌日自己嫌悪で目の前が真っ暗になる...
でも思い返してみれば実際には半分以上はどうでもいい話で(過去の恋愛についてとか)残りは仕事に対する自分の考え方とかそんなもの。自己嫌悪の直接的原因となる話がどれ、というのは無いのだけれども。
人に話すという行為で、逆に自分の考えが見えてきたりもするし。ああ、こんなにも熱く、そんなことにこだわってる自分が居たのか...とか。
昨日一緒にいた2人のことを私は大好きで、失いたくないんだと思う。
だからきっと素を出してしまったことを後悔していて、でもそれは"間違っている"んだろう。(精神的な部分で)独りでいることで楽をしてきたからこそ、誰かに自分を見せることは悩んだり後悔してひどく疲れる。
そろそろそういう部分から逃げてはいけないんだろうな。ほんとはもっと幼いころからそれが出来ていたら、虚勢を張ったりする必要もなく、今逆に楽だったのだろうけど。
夜明け前の葉山で始発のバスに乗り、湘南新宿ラインで帰って来た。一度寝てから仕事。
夕方また胸を締め付けられる嫌な出来事(ほんとうは良い出来事なんだけど...)があり、目の前真っ暗から一転目の前が真っ白になる。というかもう泣き出しそうになる。
帰り道でちょっとだけ泣いて、帰って来てボーっとTVタックルみてたら、政治家のどうでもいい、ほんとはどうでもよくないんだろうけど、そういうことで笑って、ちょっと元気が出て、お風呂で大好きな梨木香歩さんのエッセイの続きを読んだ。


価値観や倫理感が違う人間同士の間でどこまで共感が育ち得るか、という課題。


という一文に惹かれた。そうか、課題でいいのか、と思った。
梨木さんの文章はほんとに好きだ。
何度も何度も助けられている。